思った事を素直に書こう

12年勤めていた会社をあっさり辞めたので次の展開に向けて好き勝手書いていくブログ

労働は○○である

 現在、辞める会社の有給休暇を消化している最中だが、暇でブラブラしても仕方ないので、今後の準備の合間を縫って、派遣労働を3日間やってみた。

 

 アルバイト・パートだと、『帰属意識』は少なからず必要なわけで、「超短期の仕事下さい」と言って採用される訳が無い。俺が店長なら教育が面倒くさいので、電話問い合わせの段階で断る。

 『1日限りの単発の仕事』として派遣労働というものがどういうことなのか、やってみて理解しないと気が済まない性分なので、調べるよりも考えるよりも現場に飛び込んでみた。

 

 仕事の紹介に『軽作業』とあり、その現場に赴く。休憩を含めないで計算すると5時間~6時間ほどの仕事だ。言われた通りに現地に向かい、集合場所でそこの責任者っぽい人に「派遣で来た○○です」と言うと、点呼を取った後、「●●さんに付いて仕事してね」とポーンと放り出される。仕事自体は難しくないので、覚えれば右から左に流す感じのルーティンになる。

 

 やってみて分かるのだが、この『軽作業』の意味とは、あまり考えなくてもルーティンで出来る仕事、頭を使わなくても気を使わなくてもできる作業であり、脳みその負担が『軽い』作業のことだ。踏み込んで言えば、脳みその負担は『軽い』が身体的には『重い』仕事、いわゆる『重労働』である。

 

 5~6時間の労働の中で、前半の2~3時間は、何も考えずに体を動かすことで『心地良い肉体労働』となり、汗を流して体を使う。『これはダイエットになるぞ!』と『労働の喜び』の時間となる。

 

 ところが休憩を挟んで後半になってくると少し事情が変わる。

 肉体の疲労と共に体力が減退し、筋肉や関節が悲鳴を上げてくる。次の作業に行こうと前半戦は小走りで行けたのに、後半戦では腕を振っても足が上がらないし走れない。

 しかも『言われた事だけ』の単純作業というのは、自分で計画を立てない分だけ、ゴールが見えない。唯一、見えるゴールは契約している終了時刻だけ。

 終わる時間を腕時計で気にしながら、それでも終わるまで一生懸命働く。こんな事をやっていて、ふと思った。

 

 なんて俺は意識の低い労働者なんだ!

 

 労働とは苦役なのか?!

 

 俺は何か悪い事でもして、この単純作業に従事させられているのか?!

 

 自分の境遇としては、有給消化中にさらに働いて対価を得るのだから、働けば働いた分だけ儲けになる。苦役でも何でもないはずだ。

 でも、その時、ハッキリと『この労働は苦役だ』と思ってしまったのだ。

 

 いったい、何が違うのだろうか。

 確かに12年勤めて来た仕事は、時間など気にしないで気が済むまでやって来たし、『仕事は人生そのものだ!』とさえ思っていたのだ。

 

 少し調べてみた。『労働』という言葉は聖書では『苦役』を意味するらしい。元々、『労働は苦役』なんだな。そこに『やりがい』という概念を入れて『仕事は人生そのものだ』なんて言う俺のような人種は日本人くらいだと言われているらしい。

 

 生活していくお金をもらうために労働するのだから苦役であり、その労働者には保護されるべき権利があり、だからこそ、休憩時間もあれば、休暇制度もあるというのが、聖書の考え方、西洋の考え方だ。

 西洋から輸入された労働者の権利とは、『労働は苦役だ』という思想の元に立脚しているわけだ。

 

 お金以外で『やりがい』って、どんな所から来るのか?

 それは仲間との『連帯』や彼らからの『賞賛』であったり、仕事をくれた人達からの『感謝』やその現場が良くなっていくことの実感、その他にもあったりする。

 もちろん、それらは誰が指示をするのではなく、自分で計画して自ら実行した結果から得られるものだ。

 

 労働で得られる『やりがい』って、そう考えてみると、とても『頭を使う』。その『頭を使った』結果、得られる対価はひょっとすると、非常にハードルの高い、高嶺の花になっているのかもしれない。

 

 『頭を使って』何をするのか?

 自分の理想や目標をハッキリさせて、自分の能力を分析し、どのように社会に関わって行くか、を考えるのだ。

 

 やっと自分の頭で考えることの意味が分かって気がしてきた。

 肉体労働で汗をかくのではなく、『仕事こそ我が人生』と楽しく生きていくためには、考えて考えて『脳みそに汗をかかせる!』のだと自分に言い聞かせている。