思った事を素直に書こう

12年勤めていた会社をあっさり辞めたので次の展開に向けて好き勝手書いていくブログ

世の中はテキトーな嘘に塗れている

という題名を書くと、嘘に対して怒っているような内容になりがちだが、この記事は違う。

 
嘘は生きるための娯楽なのではないか、と最近は思っている。
 
毎週楽しみにしている様々な連続ドラマも、本当のような嘘ニュースを流すジョークニュースサイトも、みんな娯楽なのだ。
 
と書きかけたオレ、3月の暖かな天気の日のオレ。
 
まどろみの中、ボンヤリと思っていた事を書こうと思ったら、突然、知らない番号からの電話が鳴った。
 
そこからオレの人生が動き出した。
 
つづく

3.11のこと

今日であの震災から もう5年になる。

私がいる群馬も震災の影響をジワリと受けた。

内陸部なので津波も無ければ、地震震度5強で揺れたのは確かだが、それほど大きな被害はなかった。

地震そのもののダメージより、その後の東電原発事故に起因する停電によるダメージの方が遥かに大きかった。思い出すだけで腹立たしいので、今まで記録を残さなかったし、振り返りもそれ程しなかった。

ただ、今の生活スタイルにあの震災が変えたという側面もあると思うし、もう当時勤めていた会社も辞めてしまったので、思い出しながら振り返ってみたい。

 

2011.3.11

14時ごろ 当時の塾に入社した時から通ってくれていた高校3年生が入試の結果報告に来てくれていた。小学生の時からの秀才君で、K応大学に入学を決めたと報告してくれた。本当は東北大学に行きたかったが成績が足りずに断念したとのこと。私自身の受験を思い出し、縁がある大学だと思うから悔いは残さないで決まった大学で頑張れよと話していた。

14時45分ごろ 報告に来てくれた高校生の彼が帰ろうとしたところ、ぐらっと揺れ始める。「ああ、また地震か」と言う間もなく、揺れが大きくなる。ちょっと何かあったらマズいからとりあえず外に出よう、と彼と一緒に表の大通りに出る。

表に出ると隣の美容室のマスターも出ていた。マスターが手にしていた携帯電話のTVワンセグ放送ではは、東北で大きな地震があり大津波警報が出ていると。

唖然としながらも、間を置かずにまた大きな余震がやって来る。近所のガソリンスタンドの看板がガタガタ音を立てて砂埃がハラハラ落ちて来た。

その時、その地震の大きさを実感。余震も落ち着いたとみて、職場である自分の教室に戻る。高校生の彼も帰宅すると帰って行った。

当時いた教室は高崎駅から歩いて10分ほど。自分で新規に立ち上げた教室なので、本棚などの耐震対策は万全で被害無し。授業はまだ始まる時間ではないので、生徒たちは誰も来ていない。自分の持ち場は幸いにして問題無し。

その後、頭にあるのは他の教室に居る部下の教室長たちの事。まずは築100年以上の建物を借りている教室に電話を入れる。被害は案外軽く問題無し。また揺れたので避難を促し電話を切る。

次は隣町で車で5分もあれば行ける教室に電話するが、既に電話はパンク。通じなくなる。ネットなら普通に使えたので、Skypeで連絡を取ろうとしたが、ログインのサインが無く、これも通じない。その教室は頑丈な鉄筋コンクリートの建物に入居しているので、大丈夫だと思うが少し心配になる。

16時ごろ 採用したばかりのアルバイト学生の研修を予定していたが、こんなんじゃ来れないし、無理だろなと思っていたら、約束通り来てくれた。思わず「あんたは偉い!」と口走ってしまう。普通に礼儀正しい学生だったので、事情を説明して電話応対の簡単なマニュアルを渡して、30分だけ留守番をお願いする。

向かうのは電話が通じない隣町の教室。車を走らせてその教室近くの病院前まで来たら、その理由が分かった。信号をはじめとして、その辺一帯が停電なのだ。

停電になると、電気をはじめ、固定電話も止まってしまう。光電話だと電源が切れれば不通になるのだ。携帯電話も基地局で停電になれば電波が出ないから不通になる。電気が切れれば、通信も遮断されるのだ。

その後、隣町の教室に行くと、もう夕方で電気がつかず薄暗い。恐る恐る中に入るとゲラゲラ談笑している声。教室長と早めに出勤した学生講師が居て共に無事。携帯電話もネットも使えなくて、連絡手段が断たれ、笑うしか無い状況だったようだ。本棚が崩れ埋もれて怪我をしている事も最悪想像していたので、とにかく無事で安心。

もう一つ、埼玉に教室があるが、鉄骨ラーメン構造の建物に入居していたからか、免震で揺れまくり本棚が崩壊してしまったとメールで報告してくれた。そこの教室長も無事だった。

三重県の教室は、あ、少し揺れましたね〜というリアクション。もちろん無事。

すぐに自分の教室に戻ると、当日の授業を担当する学生講師から電話が来る。今、車で向かっているが、国道18号が渋滞で動きが取れなくて戻るにも戻れないから、とにかく行きますと。その意気を汲み取り「あんたも偉い!」と言いつつ待つ。

街の東側は大停電、国道は渋滞、大きな余震が続く、どう考えても授業なんか出来ない。

連絡がつく家庭から休校の電話を入れる。「仕方ないですよね」「出掛けられないですよ」そんな話ばかりで電話を切る。

大停電の地域の家庭には案の定、連絡が取れない。おそらく来れない事を想定しながら「届け!」という思いを乗せて休校の旨メールを発信。

19時過ぎくらいまで学生講師達が教室に待機してくれたが、家族が心配するだろうからと帰したように記憶。

20時ごろ。その日の最終授業が始まる時刻まで、待機。数人、来てくれた生徒たちもいたが「やっぱりお休みですよね」と言われながら、ごめんなさい、申し訳ないと言いながら謝り倒していたような記憶。

バタバタして気が付いたのは21時。教室を締めて帰路に向かう。大地震からだいぶ時間が過ぎたが、車を走らせると所々、停電で信号が点いてない所を通り過ぎる。

帰りの道中、興味深かったのは、停電する地域が大きな道路や河川を境にして区切れていた事。後日実施された忌まわしい計画停電の時に意外と役に立つことになる。

幸い自宅に被害も無く、停電も免れた。

翌日からの事を考えると、眠れないなとおもいながら、床に入ると疲れなのか他に原因があるのか、すーっと寝入ってしまった。

つづく

節目の年、終わり

2015年という年は、歴史の周期に詳しい人に言わせると、「終わりの始まり」の年になる、と言われていた。予言という訳ではないが。

これまで自分で当たり前だと思っていた事が、あの時に終わっていたなぁ、と思う事があるんだろうな、と何度も思った1年だった。具体的には挙げないが。

だから、これからは今までの常識を全部捨てて、ニュートラルな感覚を持って進んで行こうかな、と。

そんなオレは、12年勤めた会社を今年、あっさり辞めてしまった。

干支は十二支、1年は12カ月、時計の時刻は12時制、と12という数字は、何かの節目になる。

ただの偶然だが、節目の年にキッチリ会社を辞めたのは、何かの思し召しなんだろう。

会社を辞める前、自分のデスクを片付けながら、捨てる書類を選んでみたら、ほとんど全部だった。

辞めてしまえば、積み重ねた物は全部ゴミ。
辞めてしまえば、ただの人。

ゴミを片付け、素浪人になった自分。
見渡せば、焼け野原。

あまりにも清々しいな。

今は残骸を拾って、「これはすぐに使えるな」「まだまだイケるかな」と身の回りを整理している。

さて、2016年から何をやろうかな。
雷が落ちるような閃きはまだ来ないが、やりたい事をやりたいように、やってみよう。

『聞いてくれたんだ』ということ

 ネット上でこんな言葉を拾った。
 

田中角栄

必ず返事を出すんだ。結果が相手の希望通りでなくても『聞いてくれたんだ』となる。大切なことだよ。
 
 生きていく上で人と交われば、誰だって、要望や苦情、何でもない愚痴などをぶつけられる事がある。
 政治家や経営者のように上の立場ではなくても、誰だってある事。
 
 いろいろ言いたくなっている人は大概、聞いてもらえなかったり、無視なんかされて、相手にされないものだから、発言内容が増大し、飛躍し、激化して、いわゆるクレーマーやストーカーに化けてしまうのだろう。
 
 オレも無視は、するのも、されるのも、嫌いだ。
 
 無理な要望やいわれの無い苦情もあるだろう。
 
 その時の対応で心掛けているのは、出来ない事ほど、いち早く最優先に返信をする事。 時間を空ければ空けるほど、妙な期待感と無視されている不信感がごちゃまぜになるので、遅ければ遅いほど、状況は悪化する。
 
 これは「聞いてもらえなかった」経験が無ければ分からない事なんだろう。
 
 されて嫌な事は、絶対にやらない。
 最近決めたオレのルールだ。
 鈍感なオレだからこそ、気をつけている今日この頃である。
 

戦略的思考を知る

 ブログの更新が滞っていた。会社を辞めて素浪人のような生活をしていても、日々の細々とした事や期日が迫った課題などをやっていると書けなくなるものだ。こういった事に負けない様に、また頑張りたい。

 

 さて、ある方に薦められて、『戦略的思考の技術』という本を読んだ。

 ↓ この本の紹介 ↓

 自分の利害が、自分の行動だけでなく、他人の行動によってどう左右されるか、という状態が戦略的環境であり、その分析ツールゲーム理論である。ビジネス交渉はもちろん、バーゲンでの買い物や合コンの席順といったことまで私たちは他人の行動を織りこみつつ戦略を立て実行しているのだ。本書は身近な話題をふんだんに使い、コミットメント、シグナリングなどゲーム理論のキーワードを解説しながら読者の戦略的思考を磨く。

 

 まず、こういった類の本を学生時代にもっと読んでおくべきだったと反省した。

 読み進めていくうちに、これまでの仕事のやり方、会社員としての立ち居振る舞いなどで、いろいろな場面で失敗をしていたな、というのが、正直な感想。

 これまでの仕事を振り返り、照らし合わせて考えていくうちに非常に憂鬱になり、立ち止まって考えることが多くなり、読むスピードが上がっていかず、ブログの更新すら滞らせた。

 自らを振り返り、痛い!痛いな!と思いながら読み進めていた。

 そこでふと考えた。

 自分の性格は変えることが出来なくても、戦略的な思考を持ち、思考した上で準備をしながら自分の行動は変えることは出来るのではないだろうか、と。

 ついつい悩み事があるとネットで際限無く検索してしまうが、本屋に行って、じっくり読書すればいいんだよなぁ〜と、改めて実感。

 

体温が伝わると人は動くものなのか

 今、この時代、何でもネットで調達できる。一時期、忙しさにかまけて書籍を始め、生活の日用品までネットで調達する位、使い倒していた。
 ホームページやブログ、果てはfacebookを利用して、お客さんを集める活動、販売促進活動もネットをさらに強化しましょうなんて話は、ゴロゴロ転がっている。
 
 無駄なイベントを開いて消耗する位なら、ネットの情報発信を強化した方が良いという記事にfacebookで「いいね!」を押してしまうオレもいるくらいに。
 

 話は脱線するが、実は先週末から風邪を引いて、かなりコンディションが悪い。ということで、数年ぶりに地元の内科医院にかかった。そこで、中学校当時の同級生が看護師をしていた。そこでオレが点滴を打ちに行き、そこでばったり再会という訳だ。

 
 その人は同窓会の幹事もやっているようで、最近案内があった会の事も話題になった。その案内もネットを活用したものだ。
 オレはその返事をまだしていなかった。文字だけの情報から察すると、幹事の名前、出席表明している人達の名前から、オレは参加しない方が良いかもと少し思った。
 単純に、その会の時間、誰とも話が合わなくて、一人ぼっちになるのを危惧しただけなので、特に悪意は無い。
 
 そんな気分だったので、何となく返事をしていなかった。
 その看護師との話で、中学校当時の同級生だと言われ、一人でも多く参加して欲しいという話になった。
 
 オレ自身、あまり接点は無い人だったが、もう30年近く経っているので、ほぼ初めましてに近い。
 これから地元に住んで仕事していけば、何らかの縁があってお世話になる事もあるだろう。
 そう考えてみると、改めていろんな人と話せる場に出るのも悪くない。
 と考えるうちに、医院の待合室でスマホから出席の通知を出した。
 
 そんなやり取りを思い出して反芻してみると、なるほど〜と思う事がある。
 
1.ネットで発信するのは今日、必要最低条件。まず、ホームページはあった方が良い。
 
2.ホームページには具体的でタイムリーな情報を掲載した方が良い。
 
3.その上で、人となりが分かるように、ブログやfacebookを活用してアピールをする。
 
4.ネットで十分に理解してもらえたら、直接会う機会を作り、背中を押す。
 
そういう流れを作ることで、人は動くのではないだろうか。
 
 書籍や日用品の購入くらいなら、ネットで金額や配送対応を比較して判断つく。
 
 実際にお客さんとなる見込みのある人達を相手に呼び込みをする場合、最後に人を動かすのは、体温が伝わる範囲内での接触なんだろうな。
 
 人によっては、ブログやfacebookの段階で信頼関係が出来て、ネットだけで集客ができるのだろう。
 
 それでも情報が足りないと思う人へは、無料であったり、安価で参加できるイベントなどで接触を図るということが重要なんだろうな。
 
 こういう事は良く考えて設計してから実行すると良いだろう。そうでないと、広告代理店とかの営業マンに騙されちゃうんだろうからね。
 
 というオレは、営業マンの口車に乗った失敗は数知れず。
 もう失敗は出来ないぞ。と、自分に言い聞かせる(爆)
 

分かりやすい説明とは

 実は昨日書いていた記事は、本日のお題を書いていたのだが、脱線したのでそのまま書いて題名を変えた。

 『分かりやすい説明』は誰だってされたいし、学習塾の講師においても誰もがそこに命を賭ける。

 塾や学校の先生以外の仕事でも、『分かりやすさ』というのは求められるし、誰だって「わかりやすく伝えてあげたい」という気持ちを持つのは当たり前のことだろう。

 

 『分かりやすい説明』と聞いて、どんなことをイメージするのだろうか。

 その前に、『分かりにくい説明』をしている様子を説明することで、イメージしやすくなるので書いてみる。

 

 個別指導学習塾でやっている授業を注意深く眺めるのが仕事となっていた身としては、時折出くわしたものがあった。生徒が一番、困った顔をして聞いている授業である。

 それは、言葉だけを尽くして、相手の様子を見ないで、しゃべり倒しているのを必死にやっている講師の授業だ。

 まぁ、講師になりたての人は誰だってやってしまう事である。

 教科内容を詳しく細かい所まで、知っていても知らなくても1から100まで全部話すことが教えることだと勘違いする人は多い。

 

 例えば、道案内をするとしよう。こんなふうに一気に説明されたら、理解できるだろうか?

<集合場所までの道のり>駐車場入り口から見て左折(右手の○○看板と駐車場出口を結ぶ道です)し、倉庫を横切る形で直進します。もしくは、道路の一方通行の矢印方向へ進み、駐車場出口へと向かいます。駐車場出口付近に、●●と掲げられた事務所が見えるかと思います。その事務所のガラス張りの自動ドア入り口ではなく、事務所正面から見て右の壁沿いに進めば、横に倉庫へと続くスロープ(坂道)があります。そこを通って「××関係者入口」と張り紙があるドアへ入るよう、お願いします。

 これを読んで、どんな場所でどのように向かえばいいか、理解できただろうか?初めて行く場所なんか、分かる訳が無い。こういう時は図にしてしまうのが一番だ。

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 こうやって図を描いて視覚に訴えれば、一発でどんな場所か理解できる。さらに学習指導であれば、傍らにある教科書や参考書を使って、一緒に確認したり、調べたりすれば、聞いている方は理解がしやすい。

 聞いている人の立場に立って、理解しやすい説明の準備をすることが重要なわけだ。

 言葉を尽くして説明した気になっているのは一番良くない。面白おかしく生徒を魅了するスーパートーク術なんて無いのだ。

 

 また、前回の記事で書いた通り、授業が始まる前に生徒に関心を持って話しかけて、説明する相手のことを理解しておけば、どのような声のかけ方をすれば好意的に受け入れてもらえるか、が分かるので、一方的な説明にはならなくなる。

 

 この事を早く理解して、立ち直って工夫する講師が、生徒に好かれ「分かりやすいので××先生の授業を受けたい」というリクエストを受けて、人気講師になっていくことに繋がるのだ。

 

 と言っても、俺の塾では講師の指名は受付なかった。

 なぜなら、在籍している講師は全員、個性ある人気講師だったから。

 そうすることが個別指導学習塾の塾長の仕事だからさ。